イタリア料理ほんやく三昧

2018年2月19日月曜日

パスタ・リゾッタータ

今日のお題は「総合解説」から、体が温まりそうなショートパスタ。
まず1品目は、ペンネッテのリゾッタータ。

パスタ・エ・ファジョーリと、発想は一緒ですね。
寒い時期のパスタはソースにとろみをつける。
パスタをゆでるテクニックによってとろみをつける場合と、食材でとろみをつける方法がありますが、

テクニックの場合はリゾットと同じ、マンテカーレです。
リゾットと同じ要領で、パスタを少量の煮汁で煮ながらマンテカーレし、パスタのでんぷんをゆで汁に溶け込ませてとろみをつける作り方です。
温かさととろみが加わって濃厚なパスタになります。

基本のリゾッタータ
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とろみを出す食材は、パスタがアルティジャナーレなら、より高いマンテカーレ効果が期待できます。
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イグレス・コレッリシェフのレッスン
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とろとろの仕上がりですね。
さすがはグランシェフです。

寒い時期はリゾッタータのパスタを作るのには最適の季節ですね。

アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノはリゾッタータのパスタの定番ですが、仕上げにパスタを少量のゆで汁でマンテカーレするというテクニックを応用して煮汁に赤ワインを加えれば、とても印象的な赤いパスタになります。
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“秋のショートパスタ”のリチェッタの日本語訳は、「総合解説」2015年10月号に載っています。 
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2018年2月16日金曜日

リゾット・アル・サルト

今日のお題は、リゾット・アル・サルト。
こんな料理
これはまたお焦げが多めで、一段と香ばしそう。
中華のおこげのイメージがあるので、ヘタすると中華料理と比べてしまいそうですが、
サフランのリゾットは美味しい鶏のブロードをたっぷり吸っているので、あんかけなどのソースは必要ありません。



リチェッタはとてもシンプルなので、作る人の腕次第で、アレンジも自在。
トラットリア・デッラ・ペーザのリゾット・アル・サルト
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こちらはオッソブーコ添え
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B級な料理だけに、ミラノで食べるなら、美味しいと言われる店で食べたいもの。
総合解説」では『サーレ・エ・ペペ』誌お勧めの店も紹介していますので、参考にどうぞ。
その中の1軒。
リストランテ・テスティーナ。
下の動画でも、リゾット・アル・サルトを作ってます。
秋はきのこを付け合わせにすることもあるそうです。
他にもロンバルディアやミラノの伝統料理が充実しているそうです。






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“リゾット・アル・サルト”の記事とリチェッタの日本語訳は「総合解説」205年10月号に載っています。
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2018年2月14日水曜日

カスターニャとマッローネ

総合解説」10月号発売しました。

最初の記事は、10月の旬の食材。
1ページの記事ですが、毎月、新しいことを教えてくれます。
今月知ったのは「栗」のこと。

イタリア語で栗はcastagnaとmarrone。
カスターニャとマッローネ。
なんとなく両者を区別して使っていることは知っていましたが、どう違うのか、その答えがはっきりわかりました。
これはカスターニャ。
野生の栗の木の実です。
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castagne

それに対してマッローネは栽培用品種の栗。
マッローネはカスターニャより甘くて皮が薄くて丸いのが特徴。

マッローネ・デル・ムジェッロIGP
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底の白い部分の形で見分けられるんですね。
四角いのがマッローネ。
平たく言えば、普通に森に落ちているのがカスターニェで、ブランド品がマッローネ、ということでしょうか。

その他に、ビットとビット・ストリコの違いとか、シナモンの香りのバジリコとか、これは日本ではシナモンバジルと呼ぶんですね。
イタリア語ではバジリコ・カンネッラです。

そしてこれは、トンノ・アラルンガ。
地中海に棲む、ある部分が長いマグロです。
イタリアでも日本でも、その形が名前の由来のようですね。
産卵のために岸に近づく秋に獲れます。
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詳しくは「総合解説」2015年10月号をご覧ください。
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2018年2月12日月曜日

カルロ・クラッコのフィナンツィエーラ

「総合解説」2015年9月号には、カルロ・クラッコの本『クラッコの地方料理』から、ピエモンテ料理のリチェッタを日本語に訳して載せました。


カルロ・クラッコという人は、インテリでハイセンスでナイーブ、というイメージがあるのですが、それはすべて彼の本を読んで受けた印象です。
常に料理に対して熱い情熱を抱いている彼は、語りたいことがたくさんあります。
自分の過去の体験も交えながら詳しく料理を語るので、当然ながらリチェッタはかなり長くなります。

今回も、フィナンツィエーラとフリット・ミストの2つのリチェッタに、5ページを費やしました。

フィナンツィエーラというのは不思議な料理です。
まず、内臓料理なのに、グランシェフたちに愛されて、洗練された料理としても知られています。
クラッコ氏もそんなシェフたちの一人で、アラン・シャペルのこの料理が好きだったと語っています。
シャペル氏は、自分の料理のオリジナルがピエモンテ料理のフィナンツィエーラだと語ったことはないそうですが、クラッコ氏はリチェッタはほぼ同じだとかなり確信していました。
デュカス氏もこの料理を作っていると聞いてモンテカルロを再訪した、とも語っています。
そしてモンテカルロで沸き上がったのが、フィナンツィエーラに、子牛肉は加える必要がない、という考え。
彼によると、臓物以外の材料は、伝統的なリチェッタでは使っておらず、体裁をよくするために後になって加えられたものだそうです。
ただし、甲殻類を加えるアレンジは受け入れています。

クラッコ氏のフィナンツィエーラの第一印象は、“とても美しい料理”だそうです。
料理の写真は本で見るとはっきりと写っていて確かに美しいです。
本をお持ちの方は、ぜひ見てください。
グランシェフが作る美しい料理と思ってフィナンツィエーラを見ると、この料理対する印象が全く変わりました。

伝統的なフィナンツィエーラの材料は、リードヴォー、脳みそ、脊椎、鶏の臓物(肉垂、とさか、キンカン、レバー)などです。
まさかこんな臓物料理を美しいと感じるなんて、意外でした。
マルコ・ロンバルドシェフ Ciau del Tornavento のフィナンツィエーラ
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クラッコ氏のリチェッタとは全く違いますねー。
これはピエモンテで食べ比べると面白そうですね。
OSTERIA DEL BORGO di Carrù のフィナンツィエーラ
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クラッコシェフのリチェッタは、臓物をソースであまりつなげずに、1つ1つを味わわせる盛り付けです。
さらに彼はリードヴォーが大好きなようで、実は、今回はリチェッタがかなり長くなったのでこの部分は省略しているのですが、リードヴォーについても熱く語っています。
彼のリードヴォー料理を食べてみたいと密かに思っているくらいです。
シェフが自分の好みの食材についてこんなに自由に長々と語る本なんて、あまり見たことありません。

ピエモンテの内臓料理に関しては、次号にも登場します。
こちらの料理も超個性的なので、お楽しみに。
ピエモンテが、こんなに内臓料理大好きな地方だとは、知らなかった~。





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クラッコの地方料理』のピエモンテ料理のリチェッタの日本語訳は「総合解説」2015年9月号に載っています。
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2018年2月9日金曜日

ズッパ・アッラ・パヴェーゼとパヴィアの戦い

総合解説」2015年9月号のヴィジュアル解説です。
まずはフィーコディンディア・デッラ・エトナ。

これが栽培されていると知ったのは比較的最近で、フィーコディンディアは、シチリアでは道端にたくさん実っている野生のものを食べていると思い込んでいました。

フィーコディンディアの収穫
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フィコディンディアは、イタリアでもシチリア以外では見かけたともなく、こんなに栽培して誰が食べるのだろうと、若干心配になりますが、シチリアに最後に足を踏み入れてからずいぶん年月がたった昨今、画像を見ると、無性に食べたくなります。


次はパヴィアのグルメ旅から、パヴィアの名物料理、ズッパ・パヴェーゼ。
そもそもパヴィアはミラノの南にある、ポー河の支流のティチーノ河畔のロンバルディアの街。
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ズッパ・アッラ・パヴェーゼ
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一見するとスーパー簡単なスープです。
ブロードを作ってあればですが。
このシンプルなスープは、フランスの王様、フランソワ1世のために、レペンティータ農場の農婦が、あり合わせの材料を使って考え出した、という話が伝説となって語り継がれています。
このフランスの王様、スペインの王様で神聖ローマ皇帝のカール5世と戦ったパヴィアの戦いで敗れて捕虜になり、1年間の捕虜暮らしの後でフランスに戻って、フランスの宮廷に、パヴィアの美味しいご馳走としてこのスープを広めたのでした。
この話は、後のパヴィアの人たちにとても気に入られて、伝説となりました。
戦いがあったのは1525年のことです。
そして約500年後の2015年、ロンバルディアの公式伝統料理に認められました。
ロンバルディアの人々に、かなり愛されている料理ですね。

スペインのテレビ局によるパヴィアの戦いのドラマ化
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スペイン人に取って、フランス王が捕虜になるって、ネタとしては抜群のインパクトだったのでしょうね。
王様が捕まるところで終わってますが、この後に、ズッパ・パヴェーゼが登場する場面があったに違いないです。

これも、地元で食べたい料理。
パンと卵に熱々のチキンのブロードをかけたスープなんて、何の変哲もなさすぎて、特に食べたいとも思わなかったのですが、地元では人気のようで、何か特別な秘密があるんじゃないかと思ってしまいます。



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 “エトナ山のフィーコ・ディ・インディア”と“グルメガイド~パヴィア”の記事とリチェッタの日本語訳は「総合解説」2015年9月号に載っています。
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2018年2月5日月曜日

『ハリーズ・バー』

先日、クレアパッソのHPでアッリーゴ・チプリアーニ著『ハリーズ・バー』を紹介しましたが、久しぶりに読んだ本の内容がとても面白かったのでちょっと訳してみることにしました。


それでは、序文をどうぞ。

「もし1929年にクレジットカードがあったら、現在ハリーズ・バーは存在していなかっただろう」

私の父、ジュゼッペ・チプリアーニは1900年にヴェローナで生まれた。
その後彼の家族はドイツに移民する。
ジュゼッペの父親のカルロは工事現場の下働きなどをしていたが、
第一次世界大戦がはじまると、ジュゼッペはイタリアに戻ってカメリエーレになった。
そして1928年に、ヴェネチアのホテル・エウロパのバーテンダーになる。
彼の担当の客の中に、ボストン出身の若いアメリカ人がいた。
ハリー・ピッカリングという名のとても裕福な青年だったが、当時はまだ、我々に取ってはラッキーなことに、アメリカン・エクスプレスは発明されていなかった。
ある日このアメリカ人青年は(誰も彼がリッチだとは知らなかった)、突然私の父のカウンターで飲むのをやめた。
そしてティールームのテーブルの間をうつろな目をした憂鬱な顔でぶらつきだした。
私の父は現実的な人間だった。
支払いが確かな客でも客の顔つきから目を離すなと言うことを教わっていた。
一呼吸おいて、父は青年の元に行き、何かあったのかと尋ねた。
青年は少しためらったが、結局すべてを語った。

彼は、彼の厳格で裕福なアメリカ人の叔母とヴェネチアに来ていたが、叔母は怠惰な甥に耐えられなくなっていた。
甥の浪費と酒癖の悪さが彼女を苦しめていた。
ついに彼女はアメリカに帰る決意をした。
しかも一人で、甥には一銭も残さずに。
父は彼に、必要ならお金を貸しましょうか、と申し出た。
ハリー・ピッカリングは答えた。
「本当に貸してくれるんですか?」
父はsiと答え、彼に金を貸した。

こうして、この若くてやや自堕落だが、誠実な顔をした人懐こい青年は、私の父から金を借りた。
当然だが、父は私の母には何の了解も取らなかった。
金額は、1万リラだ。
2年後、青年は借金を返すためにヴェネチアに戻ってきた。
到着するなりすぐに父に会いに行き、全額を返済した。
そしてこう言った。
「そしてこの3万リラはバーの開業資金だよ」

ハリーほどこの店にふさわしい名前はない、と考えた父は、店をハリーズ・バーと名付けた。
もしミスター・ピッカリグがクレジットカードを持っていたら、借金をすることもなく、私の父との金の貸し借りはなかっただろう。
働き者の私の父のキャリアの中で、これは彼が唯一行った取引だった。

こうしてハリーズ・バーは誕生した。
この店のことを家族は単に"バール"と呼ぶ。
そこには、セレブも単なる人間だと考えるヴェネチア人気質が表れている。
私はバールの中で生まれた。
バールがなかったら、私の考え方も行動も違うものになっていたはずだ。
多くの客が好奇心から、この店の歴史を訪ねる。
そしてもっと多くの人が、一日の売り上げはいくらか、客は何人か、ヘミングウエイやオーソン・ウエールズが座った席はどれか。そのほか多くのことを聞く。
私はアダムはバールを経営していたと確信している。
彼が客に彼のバールがどのように生れたか語ったことは、すべて書き留められて世界の初めについての本になった。
私が父がどうやって店を始めたかについて語ったことは、いつか伝説になると確信している。




リチェッタの翻訳は「総合解説」2015年11月号に載せる予定です。


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2018年2月2日金曜日

リゾット・アッラ・ピロータ

前回のブログでは、ヴェローナの米、ヴィアローネ・ナノを取り上げました。

イタリアは、ヨーロッパで最大の米の産地ですが、その中心地は、経済圏の強さからいってもピエモンテで、ヴェネトはやや後れを取っている存在かも。
ヴェネトでも、ヴェローナの限られた地域、イゾラ・デッラ・スカラ周辺でのみ栽培されているヴィアローネ・ナノ・ヴェロネーゼIGP。


そうそう、ピエモンテの米の産地では、米は水の中で生まれてワインの中で死ぬ/il riso nasce nell'acqua e muore nel vino、と言うのです。
ピエモンテのお米は垢ぬけてますねー。

リチェッタを訳す時、その名前の意味が分からないで困ることが時々あります。
リゾット・アッラ・イゾラ―ナと、リゾット・アッラ・ピロータもそんな名前。
島風リゾット?パイロット風リゾット?
なんかしっくりこないなあ、と思っていたのですが、今回の記事を訳して、ようやくスッキリしました。

まず、イゾラ風は、ヴェローナ県の米の産地、イゾラ・デッラ・スカラ風のこと。
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前回も登場した米メーカーの社長さんが作ります。
こちらのページによると、このリチェッタを完成させたのは街出身の料理人。
ヴィアローネ・ナノ米のプロモーションのため、1967年に町公認の料理になりました。
1985年には、もっと華やかでモダンな観光客受けしそうなリチェッタに改定されています。

2つ目の疑問。
ピロータは、パイロットではなく、脱穀係のこと。
前回のブログでも動画で紹介したように、米を脱穀する機械を動かして脱穀した米を集め、後を掃除する係の人です。
脱穀機はピーラpilaで、この係のことをピロータpilotaと呼びました。
イタリアの農民は、農奴と呼ばれる制度で、領主に隷属していました。
領主から借りた土地を耕してその収穫を領主におさめ、領主から許されたものだけを自分たちで食べていました。
例えば豚肉なら赤身が入った脂身、つまり一番価値が低いラルド。
米なら脱穀の間にこぼれ落ちた粒です。

自分たちが汗水たらして作ったものなのに、商品価値のないものしか食べることが許されない、そんな厳しい暮らしの中で、知恵を絞って生み出されたのが、リゾット・アッラ・イゾラーナやリゾット・アッラ・ピロータだったのです。
多少地味なのも仕方がない。

リゾットはマンテカーレする料理なので、米の粒に残った澱粉も味のうち。
この澱粉を残すように精製するのが、ピロータの腕。

ところが、地方料理の分類では、リゾット・アッラ・ピロータは隣のマントヴァ料理。
この料理の歴史は、ロンバルディアの視点でも調べる必要がありそうですね。
スッキリしたはずが、また謎が残ってしまった。
でも、これがイタリアの地方料理です。

リゾット・アッラ・ピロータ
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米は日本人には最も身近な食べ物ですが、イタリアにどう伝わって、どう広まっていったのかは意外と知らない。
8世紀にヨーロッパ(スペイン)に米を伝えたのはムーア人(アラブ人)でした。
イタリアに伝えたのは十字軍とか、ナポリ王国を支配したスペイン人経由でムーア人、シチリアにやって来たアラブ人、中東や極東と交易していたベネチア人など、エキゾチックな話が様々伝わっています。
イタリアに根付いた後は、持ち前の職人技と創造力が大いに刺激される食材だったらしく、各地で個性的で興味深い発展を遂げていきます。
イタリアの米は、極めるととても面白い食材です。

ヴィアローネ・ナノ・ヴェロネーゼIGP のリゾット、アマローネ風味。
野菜もブロードもワインもすべて地元産。
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ピエモンテの人は米はワインの中で死ぬと言いましたが、ヴェネトの人は米が酔っぱらってると言っていますねー。


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"ヴィアローネ・ナノ"の記事とリチェッタの日本語訳は「総合解説」2015年9月号に載っています。
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