2010年10月4日月曜日

ジェラートのルーツ

ジェラートの話に戻ります。
『ヴィエ・デル・グスト』の記事の解説です。


イタリアが世界に誇るメイド・イン・イタリーの1つ、ジェラート。
そのルーツは、古代ローマにあるというのが定説です。
ただし、当時のそれは、現在の、牛乳、砂糖、卵黄がベースのジェラートとはまったく別のものでした。
細かく刻んだ氷に蜂蜜や果汁を加えてクリーム状にしたもので、どちらかというとソルベットに似ています。

ローマ人は、雪と氷を食べる習慣と、これらで食べ物を冷やすことを、ギリシャ人から教わったと言われています。
エジプトやアジアにも、雪に蜂蜜や果汁をかけて食べる習慣はありました。

Istituto del Gelato Italiano(イタリアンジェラート協会)のサイト(hpはこちら)によると、聖書にも、ジェラートのような食べ物が出てくるのだそうです。
旧約聖書の『創世記』の登場人物、イサクが、父のアブラハムに、山羊のミルクと雪を混ぜたものを出す場面があるのだとか。

Maestri della Gelateria Italiana(イタリアンジェラートマスター協会)のサイト(hpはこちら)では、冷たい食べ物や、冷やして食糧を保存する技術は、中国からインド、ペルシャ、アラブ経由で地中海に伝わったのでは、という説が紹介されています。


古代ローマ人が食べていた雪は、ローマから100km離れたテルミニッロ山や、ナポリのヴェズヴィオ山、シチリアのエトナ山から運ばれて、氷室で保存されていました。


Monte Terminillo
標高2217mのテルミニッロ山(ラツィオ州)



古代のソルベット文化は、ローマ帝国の崩壊と共に消え去ります。
没落したイタリアに、遠くの山から雪を運んで保存するほどの金と力を持った人はいなかったのでしょう。


果汁を刻み氷にあてて凍らせる技術は、アラブ人によってシチリアに伝わったと言われています。
一説では、アラビア語で「甘い雪」という意味のscherbetと言う言葉が、ソルベットの語源と言われています。
「すする」という意味のsharberが語源とする説もあります。


Etna Volcano, Sicily
シチリアのエトナ山は標高3340m。



塩を使って氷の温度を下げ、人工的に物を凍らせる方法は、どういう訳か、マルコ・ポーロが中国から伝えた、という言い伝えが広まっているようです。

ところで、蜂蜜って凍らないんですか?
蜂蜜を使ってグラニータはできないので、シチリアでグラニータが誕生したのは、砂糖が登場してからなのだそうです。
サトウキビから作る砂糖は、10世紀頃にアラブからイタリアに輸入されるようになりました。
当時は「アラブの塩」とも呼ばれる高級品です。
13世紀になって、シチリアで栽培が試みられるようになりましたが、量はごくわずかでした。


シチリアで洗練された食べ物となったソルベットは、イタリア各地の宮廷に広まりました。
さらに、回転させながら凍らせてもっとクリーミーにする方法が考え出されて、ソルベットは徐々にジェラートに近づいていきます。



ジェラートメーカーなしでレモンのグラニータを作る方法







ジェラートの話、次回に続きます。



-------------------------------------------------------

関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2008年8月号
「ジェラート」の記事の解説は、「総合解説」'07&'08年8月号に載っています。

[creapasso.comへ戻る]

=====================================

4 件のコメント:

vittorio さんのコメント...

ジェラートも古い歴史があるんですね、(アラブの塩)ですか、いい名前ですね、

私もジェラートを作るのですが、おっしゃるようにソルベットから徐々にジェラートになる、分かような気がします。

確かにハチミツは糖度が高くて凍りませんよね、-100℃だったら凍ると思いますが、一般の業務用冷凍庫が-20℃でマグロ専用が-50℃までが最高ですから一般的には不可能だと思います、でも糖度が高い氷菓は固まりにくく、綺麗に盛り付けやすく、とろけるような食感も最高なんです、がぁ、とてつもない、ビックリする甘さなんです(笑)、

食感を維持し甘さを控えにするにはと、今研究中ですが、糖度はそのままで苦い温かいショコラをかけてタルトゥーフォ仕立てにするぐらいしか浮かばないんです(笑)

コロッセオの猫、世界的に有名だったんですね知りませんでした。

Vivoliもおっしゃるように有名なんですね、フィレンツェに行った際には必ず寄りたいと思います、でもこれだけ種類があると迷います(笑)、多分最初はマラガになると思います、そしてパスティッチェリーアではババですね(笑)

prezzemolo さんのコメント...

vittorioさん
砂糖は、「sale arabo」の他に、「蜂のいらない蜂蜜」とも呼ばれていたそうですよ~。

なるほど、糖度が高いと固まりにくいんですか。
やっぱりドルチェ作りは科学ですねえ。

何年か前、すごく久しぶりにVivoliに行こうとしたら、完璧に迷いました。
何でもない路地にある地味な店なんです。

ラム酒にどっぷり浸ったババは強烈でしたが(汗)、フィレンツェなら、カントゥッチーニとウィン・サントもいいですよねえ。
食べたい~!行きたい~!

くるり さんのコメント...

食感を維持し甘さを控えにするには大変なんて知りませんでした。vittorioさんのお話も勉強になります。現場ならではのご苦労で。

それを聞いていたら、もう少しpizzoのタルトゥーフォにも敬意を払って食べていたかも。料理人に対して申し訳ない!

prezzemolo さんのコメント...

くるりさん
私も激甘なドルチェを「イタリア人てば~」と言っていたことを反省しましたです。

バッカラはノルウェーとイタリアを結ぶ干物貿易の主役で、この航路は1450年作成の世界地図にも記載されるほど重要でした。

(CIR12月号)によると、ヴィチェンツァでは、この料理はCが1つなんだそうです。普通はバッカラはbaccalàでも、ヴィツェンツァでは、Cがひとつのバカラ。んなばかな、と思ったけど、地元のこの料理の専門家たちは、C一つで呼んでました。会の名前の刺繍もC一つ。リチェッタはP.11...