2012年5月7日月曜日

コーヒー

今日はコーヒーの話。
『ヴィエ・デル・グスト』の解説です。

caffe italiano

今時、コーヒーを毎日飲んでいても、その陰に壮絶な歴史があったなんてことに思いを馳せる人なんてまずいないでしょうねえ。
かくいう 私もそうでした。
でも、この記事を読んで軽く反省。
お勉強になりました。
 コーヒーの市場が、石油に次ぐ世界的な規模だということ、知らなかったなあ。

そもそも、スパゲッティ、ピッツァと並んでイタリアが世界に誇るイタリアの食文化の代表選手が、コーヒーなんですよねえ。
だから、イタリア人のコーヒーに対する理解とこだわりの深さは、半端じゃない。

↓イタリアのコーヒーの聖地巡礼は、イタリアにコーヒーが最初に伝わった地、ヴェネチアから始まるのが定番。
(とてもきれいな画像だけど長いです。24分あります。)



次はトレヴィーゾミラノトリノボローニャ、。

イタリアでは、17世紀初めにまずヴェネチアにコーヒーが伝わり、ヴェネチアでは庶民の間にもすぐに広まりました。
ちなみに日本に伝わったのは18世紀末頃だとか。

17世紀半ばまで、コーヒーの生産国はエチオピアとイエメンだけだったのに、今では石油なみの市場があって、世界中で飲まれてるということは、多分コーヒーは巨万の富を生み出す豆ってことですね。
そりゃあ血生臭い歴史もあるでしょうねえ。

自国でコーヒーを作れば儲かるということにヨーロッパが気が付いてからの植民地でのコーヒー畑の異常な増殖具合は、奴隷の歴史が物語っています。
オランダはジャワ、フランスはマルティニーク、ポルトガルはブラジル、イギリスはジャマイカ、スペインはフィリピンやエルサルパドルでコーヒーの栽培を始めました。
そういえば、エチオピアを含む東アフリカは、一時イタリアの植民地でした。
その周辺も、ヨーロッパのわずか7か国が入り乱れて大陸ごと全部植民地化しました。

↓ブラジル産コーヒー“キンボ”の古いCM。




今ではコロンビアとともにコーヒー生産のリーダーシップをになっているブラジル。
皮肉なことに、コーヒーによって国が潤いだすと、イタリアから移民がブラジルに大勢渡るようになりました。
コーヒーはブラジルの主要な産物ですが、この国こも最初からコーヒーが生えていた訳ではありません。

ブラジルに富をもたらした最初のコーヒーの苗は、1727年に、若い士官が不倫相手へのプレゼントとして花束に隠してフランス領ギアナから密輸したのだそうです。

上のイタリアのコーヒーの聖地巡礼動画には、なぜかナポリがありません。
確かに、記事にもある通り、イタリアでもっともコーヒーにこだわっているナポリの人たち。 でも、そのコーヒーは、外国ではあまり知られてないようです。
記事にある映画『クエスティ・ファンタズミ』の有名な、劇作家エドゥアルド・デ・フィリッポがナポリコーヒーの淹れ方のうんちくを語る動画。



この映画でソフィア・ローレンがマッキネッタの口に紙のキャップをかぶせるシーンは、作家のこだわりからに生まれたんですね。




1945年のコメディー映画だそうですが、いったい、どんな映画なんでしょうね。

さーて、コーヒーブレイクでもしますか。



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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2011年3月号、“コーヒー”の記事の解説は「総合解説」2011年3月号に載っています。
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2 件のコメント:

vittorio さんのコメント...

石油に次ぐコーヒーて凄いですね、初めて知りました、歴史もコーヒーみたく濃さそうですね。
イタリアにいた時、早朝の厨房はコーヒーの香りがただよっていたのを思いでします。
外国に遠征に行った時コーヒーが違うとイライラいていたスタッフを思い出しました


私はそんなに変らないと思ったのですが、、「お前には分からないよ」という感じでした。

何でもかんでも最初はイタリア語で通す所も凄いと思いました、イタリアに帰って来てすぐパーキングエリアのカフェに入って「う~んこれだよ」と言う感じでした、日本でいえば家に帰って「やっぱりお茶はいいねぇ~」と言う感じでしょうか、

ある日鮨を作ることになってスタッフが仕入れてきたお米がベッコウ色でパラパラ状態、「この米じゃないよ鮨は」、「一番高い米だぞ、そんなに変らないよ」、「おまえには分からないよ」と言う感じでした(笑)。

ソフィアさん若いですね、ブリジットさんと同い年ですよね、確か

prezzemolo さんのコメント...

vittorioさん
朝のコーヒーの香りかあ、イタリアですねえ。
私もナポリと他のコーヒーの違いが濃さぐらいしかわからない未熟者です。
私は日本に帰ると太巻きが食べたくなります。
海苔と醤油とお米とお刺身の香り。
ベッコウ色のお米の寿司じゃあ悲しくなりますよ。

バッカラはノルウェーとイタリアを結ぶ干物貿易の主役で、この航路は1450年作成の世界地図にも記載されるほど重要でした。

(CIR12月号)によると、ヴィチェンツァでは、この料理はCが1つなんだそうです。普通はバッカラはbaccalàでも、ヴィツェンツァでは、Cがひとつのバカラ。んなばかな、と思ったけど、地元のこの料理の専門家たちは、C一つで呼んでました。会の名前の刺繍もC一つ。リチェッタはP.11...