2015年11月30日月曜日

チュッピンとチョッピーノとムケッカ・バイアーナ

今日はリグーリアのズッパ・ディ・ペッシェ、チュッピンの話。
「総合解説」にもあったように、この料理はサンフランシスコに伝わって、チョッピーノと名を変えて、この海辺の町の名物料理に生まれ変わりました。 (別の説もあり)
動画を探しても、チョッピーノばかりでチュッピンの動画は貴重。
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記事の元である『ア・ターヴォラ』によると、チュッピンはパンを“浸す”という意味のpuciareが語源だとか。

チョッピーノ
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この料理、リグーリアとサンフランシスコという港と深い関係のある場所に定着しただけあって、様々な民族の食文化が入り乱れて、その歴史を調べるのは、超やっかい。
調べ始めた現時点で、もうスペイン、アルゼンチン、ウルグアイが登場して、かなり面倒なことになってます。

とにかく、ご本人たちに言わせると、リグーリア料理と南米の料理は似ているものが多いらしい。
言われるまで全然気が付かなかったけど。

そこで『ア・ターヴォラ』が企画したのがリグーリア対ブラジルの料理対決。
「総合解説」ではブラジル料理はカットしました。
ciupppinに似ているブラジル料理はmoqueca baiana だそうです。

moquecaとは、新大陸発見直後の支配者ポルトガル人と、彼らによってアフリカからブラジルに連れていかれた奴隷の食文化が融合して生まれた料理なんだそうです。

ムケッカ・バイアーナ
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ポルトガル語の食材名、意外とわかるなあ。

そのうち、イタリア料理と日本料理が融合したズッパ・ディ・ペッシェなんてできるかも。


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りグーリア料理のリチェッタは「総合解説」13/14年2月号に載っています。
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2015年11月26日木曜日

スクロッカフージ

今日はマルケのカーニバルのドルチェの話。
マルケ料理なんて、需要あるかなあと思いながらも、訳して今月の「総合解説」に載せました。

というのも、その名前がおもしろかったからです。
名前はスクロッカフージscroccafusi。

いったいどんな意味。
辞書で引いても出てきません。
『ア・ターヴォラ』の記事には、その由来が書いてありました。
scroccafusiの通称は、spaccadentiスパッカデンティ。
歯が欠ける、というような意味です。
つまり、それほど硬い、あるいはかんだ時に歯が欠けたような音がするのだそうです。

そんな硬いお菓子なんて、ますます需要ないなあ。
でも、動画を探してみると、これが意外とあるんです。
マルケの人たちに愛されているお菓子のようです。




素朴な農家的なドルチェで、リチェッタもバリエーションゆたかです。
総合解説に載せたリチェッタは、ゆでてからオーブンで焼くタイプ。

カーニバルのドルチェは、キアッキェレのように州ごとに名前が違う、ということがあります。
チェンチ、フラッペ、ブジーエ、クロストリなど、全部キアッキェレのことです。

このスクロッカフージは、エミリア・ロマーニャのカスタニョーレによく似ています。
今月の「総合解説」にはカーニバルのドルチェのリチェッタも載せています。
13ページにカスタニョーレの写真があるので、6ページのスクロッカフージの写真と見比べてください。

カスタニョーレ

Castagnole: un classico del Carnevale!


さて、ここですぐ思い浮かぶのが、マルケという州とロマーニャ地方の歴史的、地理的関係。
マルケはロマーニャ、トスカーナ、ウンブリア、アブルッツオに囲まれていますが、それぞれ隣接する地方の食の影響を大きく受けています。

余談ですが、マルケmarcheというのは、マルカmarcaの複数形です。
マルカとは、神聖ローマ帝国の領土のことで、各マルカは、マルケーゼmarcheseによって収められていました。
それが、中世になって州全体をマルカの集合体としてマルケと呼ぶようになったのだそうです。

ロマーニャ地方の影響が多かったマルケ北部でロマーニャ地方から伝わったカスタニョーレがスクロッカフージと名前を変えて広まったのかも。
明白な証拠はないけど、それも一考。



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“スクロッカフージ”と“カーニバルのドルチェ”の記事とリチェッタは「総合解説」12/14年2月号に載っています。
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2015年11月24日火曜日

イタリア語講座

今日はイタリア便りです。
では、segnalibroさん、お願いします。

今年も、市が主催する外国人の為のイタリア語講座に通い始めました。
授業は数年前まで使っていた小学校の旧校舎で行われ、生徒のレベルに応じてクラス分けがあります。

scuola

今夏、私が住む市は、市が管理する建物を開放して、成人男性の難民40-50人を受け入れました。
県内でこういう建物がオープンするのは3か所目です。
イタリア語をゼロから始める彼らと同じクラスになったモロッコ女子達が、たくさんの男性に交じって授業を受けるのは嫌だと私達のクラスにちょこんと座っていた為、クラスメートの半数はモロッコ女子という構成になりました。
小学校を2年しか行かなかったからアルファベットが読めないという女子もいて、先生はとても大変そう。
相変わらずカオスです。

前回の授業は事件の後だったので、当然パリの話になりました。
彼女たちに聞いてみたいと思うことはたくさんありますが、デリケートな話題ですし、なにより嫌な気分にはさせたくありません。
ちゃんとした教育を受けて育ったと思われるモロッコ女子が1人いるのですが、彼女自らこの話題を口にして、彼女の口から直接思っていることが聞けて、私の心の中のモヤモヤが少しだけ解消しました。
わかったのは、この事件についてみんな心を痛め、苦しんでいるんだということです。

そして今年から、しっかり出席を取るようになりました。
今年の3月、チュニジアの首都チュニスでバルドー博物館襲撃事件が起こりましたが、別の市のイタリア語講座に通う学生が、共犯の疑いがあるとして警察に連れて行かれたそうです。
結局、その学生は全く関係のないことが判明して釈放されたのですが、彼のアリバイを証明した1つが学校の出席簿だったというのが、出席を取るようになった理由です。

先生のそんな話を聞いていたら、突然誰かの携帯が鳴り、コーランが教室内に響き渡りました。
びっくりしていたら、1日5回あるお祈りの時間を知らせるアザーンなのだそうで、今はそんな携帯のアプリがあると教えてくれました。
今まで地下鉄やバス車内で誰かの携帯からコーランが鳴っていたのは、着信音ではなく、お祈りのお知らせ音だったんですね。
初めて知りました。なるほど。

その夜、イタリアのニュースで、ジャーナリストがパリのレプッブリカ広場で男の子にインタビューする映像が流れました。
「ピストルを持った悪い奴らが来て怖いから、ボクはお家を引っ越したい」と言う男の子に、パパが話しかけた言葉がとっても素敵です。



ピストルには、お花で対抗するんだよ、と言って、供えられたお花やロウソクを指し示すパパ。
こんな事件が起こらないように、私にもできる小さなことは何か、ふとした時に考える日々です。


grazie segnalibroさん。


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2015年11月19日木曜日

冬のトマト

今日のお題はトマトです。
今月の「総合解説」の“冬のトマト”の記事は、
「トマトほど豊かな第二の人生を送っている野菜はない」という文章で始まります。

Pomodori #4

夏の間は畑の王様。
キッチンでは、裏漉し、ホール、ペースト、ドライ、オイル漬けなどに姿を変えて、チューブ、缶、ビンの中で一年中活躍の時を待っています。

鮮やかな赤い色、ふっくらとした丸い形、太陽を閉じ込めたかのような芳醇な果肉。

そういえば、イギリスの有名な動物学者が、人間が「かわいい」と思う条件は、赤ちゃんのように小さくて無力で、柔らかくて、暖かく、顔も体も丸っこくて目が大きいことだと発表したそうですが、トマトもこの条件になんとなくあっているような。
ひょっとしたら、トマトは、人間行動学的に愛される野菜の条件を満たしているのかも。

こんな愛され野菜ですから、一年中食べたいと思うのも当然。
アメリカ大陸からヨーロッパに伝わった当初は、毒があると思われてなかなか広まらなかったものの、18世紀末以降は機械化の波に乗り、移民たちと一緒に船に乗って世界中に広まって行きます。

イタリアでは、トマトは最も消費量の多い野菜で、家庭では年間30㎏のトマトを購入するそうです。
トマトの加工品で一番売れているのはパッサータ。

記事の中で、自家製瓶詰めに最適と考えられている品種として紹介されているトマトは、カンバーニアのピエンノロ(ペンドゥーリ)種の房付きトマト。
完熟前に収穫して、風通しの良い場所に吊るしてじっくり、クリスマスごろまで熟成させます。
炎の大地と優しい海の香りを感じる味わいだそうですよ!




こうやって積み重ねていくんですね。
お見事。

ピエンノロのリングイーネ
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“冬のトマト”の記事とリチェッタの日本語訳は「総合解説」13/14年2月号に載っています。
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2015年11月16日月曜日

アルバ・ペゾーネの『ピッツァ』

ナポリの飲食業界に持つ太いこねを最大限に生かしてプロが作る素晴らしいナポリ料理の本を出しているアルバ・ペゾーネさん。
『パスタ』に続いて 次の本は、『ピッツァ』です。

 
ホームページには近々載せる予定ですが、ついでなので先にこちらで紹介いたします。

この本では、アルバさんが選んだナポリのピッツァイオーロ3人のピッツァを、徹底的に紹介しています。
特に、ピッツァリア・ラ・ノティッツィアのピッツァイオーロ、エンツォ・コッチャ氏は、念入りに取材しています。
ちなみに、裏表紙の印象的な2枚の写真のショートヘアの女性がアルバさん。

ラ・ノティッツィアとエンツォ・コッチャ
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「ピッツァイオーロは生地を作れりゃいいってわけじゃないよ」と語る、職人気質のおやじさんて感じのエンゾさん。
薪のかまどはどう焼けるかやトマトの品種も知らないでピッツァは作れないよ。
オイルをかけすぎたピッツァはピッツァじゃない、ボッツァpozza“水たまり”だ。
モッツァレッラを切る時は繊維に沿わせんだ、
てな調子です。
こんな人物紹介から始まって、あとは延々とピッツァの写真とリチェッタが続きます。
これが3人分ですから、すごいボリュームです。

個人的に、その中で一番気になったのは、ピッツェリーア・フォルトゥーナのチーロ・コッチャ氏のシラスのピッツァ(P.226)。

彼はエンツォの弟です。
二人のキャリアのスタートは、おばあちゃんがナポリの駅の近くでやっていた店、フォルトゥーナでした。
エンツォは独立して、チーロがおばあちゃんの店とリチェッタを受け継いだんですね。

彼のシラスのピッツァは、生地を厚みを感じさせないほど薄く伸ばし、そこにシラスを生地が見えないほどびっしりと平らに敷き詰めています。
全体的な印象は、3Dじゃなく2D。
立体感が全くない。
生地は焼き色が薄めで、主張しすぎない。
見たとたんにパンではなく、シラスの塩気が伝わってきて、じわっと唾液が出てきます。
余計なものはいらない、シラスを味わってほしい、ていう感じです。
シラスのデリケートさを味わってほしいので塩はしないのだそうです。
調味はオリーブオイル、若いバジリコ、イタリアンパセリのみじん切りのみ。
よほどシラスに自信があるんですね。

こうやってピッツァのアップの写真を100枚以上見ると、各店の個性がよーく見えてます。
生地が薄めの店、焼き色が濃い店、うーん、食べ歩きしたくなる。

3人めのエンツォ・ピッチリッロは揚げビッッァの概念を変える店、アンティカ・フリッジトリア・マサルドーナのピッツァイオーロ。
マサルドーナは、彼のおばあちゃんで店の創業者のニックネイム。

マサルドーナはピッツァ・フリッタ専門店。
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ヌテッラのバッティロッキオもあったー。
ピッツァ・フリッタは2枚の生地で具をはさみますが、バッティロッキオbattilocchioは生地は1枚で作ります。

ピッツァ・フリッタとバッティロッキオ
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揚げピッツァの食べ方、勉強になりました。



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2015年11月12日木曜日

アルバ・ペゾーネの『パスタ』

今日はお勧め書籍の紹介です。

タイトルは、ずばり『パスタ』。
http://creapasso.com/books.html

初入荷はだいぶ前のことですが、最近偶然見直したところ、とても興味深い内容で、お気に入りの1冊になりました。

副題に『南イタリアの味と香り」とあるように、南イタリアの有名シェフたちの乾麺のパスタのリチェッタ集です。
カンパーニアのシェフの“黒豚のラグーのパッケリ”に始まって、ローマの“パッケリのアマトリチャーナ”で締める料理の選び方も面白いし、シェフたちに密着した写真も面白い。
料理はどれも美味しそうだし、カッコいい。
本場のプライドがにじみ出てます。

著者は、・・・ん??
アルバ・ペゾーネですと??

ははーん、納得です。
どこかで聞いた名前だと思ったら、この人、『ピッツァ』というこれもまたとても興味深い本も出しているんですよ。
まだホームページには載せてませんが、チラシでぼつぼつ紹介を始めているので、ご存じの方もいるかも。
今気がついたなんて、トホホ。

『ピッツァ』は、その名の通り、ナポリの有名ピッツェリアの料理集です。
著者のペゾーネさんはナポリで生まれてパリでイタリア料理を教えている料理研究家でジャーナリスト。
とにかく地元のこねを活かしまくって精力的に取材し、地元ならではの面白い食材を使って、かゆいところに手が届く、いたれりつくせりの本です。

『パスタ』では最初に、パスタの名前の由来を紹介しているのですが、そういえば、ジーティの名前の由来なんて、知らなかったなあ。

辞書で調べると、男のいいなずけだって。
なんだこりゃあ。

ジーティ
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本によると、ジーティは南イタリア独特の穴あきのロングパスタですが、太くて大型のため、乾燥させるのにとても時間がかかるパスタでした。
冬場だと30日かかったそうです。
そのため、結婚披露宴など特別な機会にだけ食べるご馳走でした。
ナポリの方言では、zitoとはfidanzatoという意味なんだそうです。

日常的で身近なものの名前をつけることが多いパスタの名前の中では変わってますね。
ちなみに本で取り上げたジーティのリチェッタは、イスキア島のシェフの“ヒメジ、レーズン、松の実のメッゼ・ジーティ”と、ドン・アルフォンソの“”イカとミニトマトのジーティ。

どちらもとても洗練されていて全然田舎っぽくなく、適度に南を感じさせるパスタです。
特にアルフォンソのパスタはトッピング用のイカに隠し包丁を入れてあぶったのかな。
トマトであえていないので幾何学模様のイカの白い色とトマトソースの赤い色の対比が美しい一品。
メッゼ・ジーティも穴あきパスタ、レーズン、松の実と、こてこての南の食材の組み合わせですが、この強い味にはスパゲッティよりジーティの歯ごたえが合いそうです。

次回は『ピッツァ』の紹介です。



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2015年11月9日月曜日

ポレンタ・タラーニャといなずけ


今日のお題はポレンタ・タラーニャ。
ヴァルテリッリーナ名物の、そば粉入りのポレンタ。




タラーニャというのは、タラなんちゃら地方の料理という意味かなあ、なんて漠然と思っていたら、全然違いました。
ポレンタをかき混ぜる木の棒のことを、地元の方言でタライとかタレッロと呼んだからなんだそうです。
ポレンタのかき混ぜ方は外から内側に向かってかき混ぜるんだそうです。
バターはよく溶かすけど、チーズは溶かしすぎないとか、テクニックが色々あるのですねえ。

ポレンタ・タラーニャは北イタリアの冬の代表的料理の一つなので、いろんなところで語り尽くされた感がありますが、今回の「総合解説」では、『サーレ・エ・ペペ』誌が見つけた新しい情報を紹介しています。

それは、文学で描写された最初のそば粉のポレンタについて。

料理の話の時、よく引き合いに出される文学は、ランペドゥーサの『山猫』、ダンテの『神曲』、ボッカチオの『デカメロン』、カミッレーリの『モンタルバノ警部』シリーズあたり、そしてたまーに登場するのが、イタリア近代小説の最高峰、マンゾーニの『いいなずけ』です。

ぶっちゃけ、モンタルバノ警部以外は手に取ろう思ったこともありませんが、やっぱりイタリア人は読んでるんですねえ。
さらっと、高尚な話題が出てきます。
『いいなずけ』をこれから読む人は、第6章にそば粉のポレンタが出て来るらしいので、お忘れなく。

ちなみに、「・・・曲がった木べらで灰色のそば粉の小さなポレンタを練り混ぜた」
という描写で、イタリア人や料理人なら、これはポレンタ・タラーニャを作っているんだとわかるでしょう。
さらに
「ブナの木の皿にあけたポレンタは、大きな湯気に包まれた小さな月のようだった」
と言われて、その姿が思い浮かぶ人は、湯気のたったポレンタを見たことのある人ですよねえ。
さらにさらに、
この時代は食糧難で、人々は飢えていた、という重要な時代背景もあります。
そば粉はこんな時代に手に入る貴重な食料だったんですね。
つまり、ヒロインはこの月のようなポレンタを待ちわびていたのですが、それでも少なすぎたんだそうです。
ポレンタの陰に、そんな話が隠されていたなんて。

そばは17世紀末にヴァルテッリーナに伝わり、高地でも容易に育ち、他の穀物より早く熟したのですぐに広まりますが、19世紀後半以降、窒素肥料の登場により劇的に生産量が減ります。
イタリアにそば粉のパスタが普及しなかったのは、そのあたりに原因がありそう。

そばの受粉には大量の蜂が必要。
そこで、ヴァルテッリーナではそば栽培と養蜂がセットで行われています。
白いそばの花がきれいですねー。
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ヴァルテッリーナは蜂蜜でも有名。
特にそばの蜂蜜は、かすかにこしょうやシナモンの香りがして薬効もある上級品。
でも、そばの栽培の減少と共に蜂蜜の生産量も減って、幻の食材になりつつあります。



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“ポレンタ・タラーニャ”の記事とリチェッタの日本語訳は、「総合解説」13/14年2月号に載っています。
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2015年11月5日木曜日

カルチョーフォ・ロマネスコとイル・ポスティーノ

今日のお題は、カルチョーフォ・ロマネスコ。

このブログでは以前にも取り上げて詳しく解説していました。
(こちら)

今回の「総合解説」では、メイド・イン・イタリーの食材として、つまりイタリアを代表する国民的食材として紹介しています。
アーティチョークの中でも、ロマネスコは、アグロ・ロマーノと呼ばれるローマ郊外で栽培される、独特のまん丸い形をした棘のないアーティチョーク。
IGP製品は直径10㎝以上と決められている大型の美しい野菜です。

gastronomia romana

代表的な料理はユダヤ風とローマ風。
そのリチェッタも昔のブログで詳しく訳しています。

前回は、映画『星降る夜のリストランテ』の話題を出して、ユダヤ風とローマ風のエピソードを説明したりしてました。

偶然ですが、今回の記事でも、映画の話が引用されています。
今回の映画は、『イル・ポスティーノ』(1994)です。
イギリスと日本で外国語作品賞を受賞した秀作。
主演の役者が重病をおして演じ続け、撮影終了直後に亡くなったことも衝撃的でした。

この映画のもう一人の主役は、パブロ・ネルーダという実在の詩人です。
この人は、ノーベル文学賞も受賞しているチリの国民的詩人だそうで、そんな詩人がイタリアに亡命していた間のことが、この映画では、美しく感動的に描かれています。

イル・ポスティーノは島の郵便配達人。
狭い世界に住む無垢な青年が、国民的詩人と触れ合って、芸術や生きる喜びに目覚めていくという淡々とした物語です。
ネルーダは、比喩が得意な詩人として知られていました。
そのあたりのシーンをどうぞ。
 ↓



私がこの映を観た時は、パブロ・ネルーダがどれほど世界に影響力を持つ人なのか知りもせず、
ましてメタファーの話なども事前知識は何もありませんでした。
つまり、この郵便配達人と同じ状態。
でも、何も知らないと、新品のスポンジのように、どんどん吸収して、受ける感動も大きいものですね。
小難しい芸術的な話も、なんとなく分かったような気がしたものです。

さて、ネルーダは、アーティチョークもメタファーで表現しました。
国民的詩人は、アーティチョークを何に例えたのでしょう。

ヒントは、アーティチョークの下ごしらえにあります。




答えは、柔らかい実を堅い鎧で包んだ戦士だそうです。
彼が亡命したのはカプリ島だったので、彼が知っていたアーティチョークはロマネスコではなくて、もっと棘々した品種だったはず。
ロマネスコは棘がないので非武装の鎧ばかり立派なボンボンみたいな太っちょ戦士ですね。
私の比喩の才能なんて、こんなもんです。




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“カルチョーフォ・ロマネスコ”の記事の日本語訳は「総合解説」13/14年2月号に載っています。
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2015年11月2日月曜日

エキストラバージンオイルのイタリアンパラドックス

ミラノエキスポ、終了しましたねー。
知り合いのご隠居、いつも、エキスポに行くと言っている割には、まだ人が多いらしいからと様子見をしていたのですが、終了間際になって、とうとう行ってきたそうです。
家に帰るなり興奮して電話してきて、日本の展示が一番よかったよー。5時間並んだけどねー。
だって。
結局、一番混んでいる時に行っちゃったかもねー。
日本は展示デザイン部門で金賞だそうで、かかわった皆さま、おめでとうございます。
お疲れさまでした。

グランフィナーレ
 ↓



ところで今日は、今月の「総合解説」で一番興味深かった記事、“エキストラバージンオイル”イタリアのオイル業界が抱える悩み、イタリアンパラドックスについて。
ガンベロ・ロッソの記事です。

記事によると、イタリアンパラドックスとは、
「イタリア由来のイタリアの文化にルーツを持つ製品で、イタリアの食文化の大黒柱となるようなものが、将来的に外国のものになってしまうということを意味する」
のだそうです。

その一例が、エキストラバージンオリーブオイル。

オイルの味の良さというのは、大手メーカーの大量生産品には感じることはできず、職人が作るアルティジャナーレの高価な製品のみがもつ特徴です。
ところが、そういった品質に特化した生産者は、その利益の大部分をイタリア国内ではなく国外で上げています。
素晴らしいオイルを作るのは難しい、でも、それをイタリアで売るのはもっと難しいのです。

しかし、アメリカのエキストラバージンオイルの市場の98%は低級品で、専門店で販売される上級品はわずか2%だそうです。
ところが、あるアメリカのインポーターが、イタリアの上質オイルメーカーに初の注文として試験的に出した注文数は、このメーカーの1年分の生産量に等しい2万本でした。
確かに、大手に有利な法律で固められた国内で売るより、簡単にもうかりますねー。
アメリカはジャンクフードへの危機感から健康的な食品への注目度が上がっているんだそうです。

でも、ここに落とし穴があります。
外国では、ポリフェノールの量、苦さ、辛さだけに興味を持たれる。
イタリア人は自国の伝統の食文化を広く伝えて価値を高める方法を知らない。
ミラノで食がテーマの万博やったのも、ここらへんのジレンマがあったのかも。
イタリアでは上質オイルが正しく評価されていない。
イタリアの素晴らしいオイルの作り手は、外国の市場がなければ生き延びれないだろう、というのが現状なのです。

で、ある上質オイルの作り手が今、一番注目している市場は、アジアなんだそうです。
特にシンガポール、香港、台湾は、上質オイルの小さなパラダイス。
中国は関心は膨大ですが、まだ知識は少なく、購買金額も低いそうで、まだ大流行とまではいっていないそうです。
日本に関しては、なんと、多くの点でアメリカより先を行っているそうですよ。
イタリアまで勉強に来て、入念に準備している姿が好意的に受け取られているようです。

でも、一番注目している国は、市場が急速に拡大中のノルウェー。
メーカーによっては、ドイツやイギリスを抜いてヨーロッパ最大の輸出国になったところもあるそうです。

メーカーにとっては、確かに一番多く買ってくれるお客が一番いいお客さん。
でも、それが自国ではなくて外国、というのは、結局、スパゲッティやピッツァやパルミジャーノや生ハム同様、エキトラバージンオイルも他国に持ってかれるという危険性をはらんでますねえ。

おまけの動画。
オリーブオイルについて知っておくべき3つのこと。
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“エキストラバージンオイル”の記事の日本語訳は「総合解説」13/14年2月号に載っています。
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マリア・ルイジアの小さな街、パルマのバターとグラナの娘、アノリーニ。本物は牛と去勢鶏のブロードでゆでます。

昨日の最後にサラっと登場したアノリーニですが、このパスタ、(CIR12月号P.5)にもリチェッタが載っていました。クルルジョネスの次の料理です。花の形の可愛い詰め物入りパスタ、なんていうのがこのパスタの印象ですが、イタリア人は、こんな風に思ってるんですね。 「マリア・ルイジアの小...