2017年6月19日月曜日

ラグー・アッラ・ボロニェーゼ

今日のお題はミートソースです。
世界中でもっとも愛されているパスタソースの1つ。
でも、ミートソースは英語。
イタリア語では、ラグー。
なぜかフランス語。
ラグーの話をする時は、毎度フランス語のラグーの説明から始めることになるのですが、今日はどの説を紹介しましょうか。
そういえば、ピエモンテのタヤリンやローマのフェットゥッチーネの話をした時に、鶏のレバーのソースをかけると日曜日のご馳走になる、という話もしましたが、この時のレバーのソースもラグー。
ラグーがご馳走だったというのは、この料理の名前がフランス語という理由の手掛かりになります。
つまり、元々は貴族や裕福な階層の料理だったということ。

鴨のラグーのビーゴリ
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ちょっとこだわるなら、ミートソースは、イタリア語ではラグー・アッラ・ボロニェーゼ。
つまり、ボローニャの伝統的なラグー。
イタリアで、本場のピッツァと言えばナポリ、と誰もが信じているように、ラグーの本場はボローニャです。
ラグーの本場はナポリだと強硬に主要する一派もありますが。
ボローニャを中心とするエミリア地方は、手打ちパスタの文化が花開いた地方です。
カルロ・カンビの『ミリオーレ・リチェッテ』によると、パスタは麺棒で伸ばし、水は1滴たりとも加えない、という鉄の掟があるそうです。

でも世界的にみると、ラグーはスパゲッティにかけるのが多数派。
カルロ・カンビ氏は、エミリア地方の老人から話を聞いて、面白い説を披露しています。
ボローニャは交通の要所で、第二次大戦中は、市街地やアペニン山脈を舞台に、アメリカ軍、ドイツ軍、パルチザンの激しい攻防が繰り広げられました。
その時、遠い故郷からイタリアの山の中までやってきて、イタリアのために戦うアメリカの若い兵隊さんが、スパゲッティが食べたい、と言ったら、どうしますか。
おばあちゃんたちは、そうかそうかと、戦争中でろくな食料も手に入らない中、手に入るありったけの食材をかき集めて、伝統の鉄の掟を破って、スパゲッティ・ミートソースを作るしかないじゃないですか。
それを食べた兵隊さんは(ここから妄想です・・・)無事に帰国して、アメリカでスパゲッティ・ミートソースを広めていったのでした。

ボローニャ解放
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そんな歴史を思うと、スパゲッティ・ミートソースでもいいじゃないかと思いますが、ボローニャの商業会議所の人たちは、ボローニャの素晴らしい財産がゆがめられて広まるのは耐えられなくて、鉄の掟をさらに強固にしました。

続きは次回に。



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“ラグー・アッラ・ボロニェーゼ”の記事の日本語訳は、「総合解説」2015年2月号に載っています。
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バッカラはノルウェーとイタリアを結ぶ干物貿易の主役で、この航路は1450年作成の世界地図にも記載されるほど重要でした。

(CIR12月号)によると、ヴィチェンツァでは、この料理はCが1つなんだそうです。普通はバッカラはbaccalàでも、ヴィツェンツァでは、Cがひとつのバカラ。んなばかな、と思ったけど、地元のこの料理の専門家たちは、C一つで呼んでました。会の名前の刺繍もC一つ。リチェッタはP.11...