2017年12月18日月曜日

ピッツァ・マルゲリータが広めたトマト栽培


今月の「総合解説」は8月号です。
イタリアの料理の分野の8月の話題は、何と言ってもトマト。
毎年夏になると必ずトマトが話題の記事が登場します。
もうそろそろネタ切れか、とも思うのですが、なんと今年の8月号にも初めて聞く話題が・・・。
「食物の歴史の中でトマトの発見はフランス革命に匹敵する」と信じているイタリアの人々。
そもそも、トマトはいつどこで発見されて、いつイタリアに伝わったのか、
こんな入門編の質問ですが、最近、すごく気になるのが、時代交渉がされていないドラマの食事風景。
中世ヨーロッパが舞台の話で(日本のドラマで中世ヨーロッパが舞台の話なんてないけど、アニメのファンタジーの世界は、この時代がよく舞台になりますよね。
そもそも妄想の世界なんだから、時代考証なんかまったく必要ないのですが)、真っ赤なソースをかけた料理が画面に1秒映っただけで、この時代にトマトはまだヨーロッパにはないでしょと指摘したくてたまらなくなるのは職業病です。
でも、日本のアニメが世界中に広まっている昨今、同じシーンを見て同じことを考えるナポリっ子は、少なくないはず。
とにかく、トマトがヨーロッパに広まってヨーロッパの料理が赤くなったのは意外と最近。

ヨーロッパに伝わったトマト
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2015年の『サーレ・エ・ぺぺ』の8月号のトマトの記事は、いきなりこんな文章から始まります。

「今から5世紀前、メキシコのティノチティトランの市場で、ベルナルディーノ・デ・サグアンという修道士が、トマトの味見をした。

なんのこっちゃと思いましたが、一応、この修道士のことをwikiで調べると、メキシコに派遣されたスペイン人修道士で、現地の歴史や習慣をまとめた百科全書的な本を書いたことで知られている人でした。
トマトを初めて食べた時のことも書かれているそうです。

ナポリの言葉でトマト料理のリチェッタが書かれるようになったのは18世紀末のこと。
毒があると信じられて南米の原住民でさえ食べていなかったトマトが、どうやって食用になったのかははっきりとはわかっていませんが、
少なくとも南イタリアでは、度々飢饉に襲われたナポリの貧しい民衆が、必要にせまられて食べるようになったのがきっかけではないかと考えられています。
アメリカではリンカーンをトマトで暗殺しようとしたなんて噂まであります。
ちなみにリンカーンが大統領になったのは、1861年、暗殺されたのは1865年のことです。

イタリアではトマトの栽培が南イタリアに広まり、19世紀末にチリオによって缶詰が製造されるようになると北イタリアにもトマト料理が広まりました。
そこにさらに強力なきっかけとなったのが、マルゲリータ王妃がピッツァを食べたいと所望して作り出されたピッツァ・マルゲリータです。
どこの国でも愛される王族は社会現象を巻き起こします。
王妃の好物がピッツァだなんて、当時のピッツァ業界は狂喜乱舞したでしょうね。
イタリアでは、このピッツァがきっかけでトマトの栽培がポー河流域やリグーリアにも広まっていったのだそうです。
ちなみにピッツァ・マルゲリータが誕生したのは1898年のこと。

マルゲリータ王妃
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ピッツァ・マルゲリータ
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“トマト”の記事の日本語訳は「総合解説」2015年8月号に載っています。
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バッカラはノルウェーとイタリアを結ぶ干物貿易の主役で、この航路は1450年作成の世界地図にも記載されるほど重要でした。

(CIR12月号)によると、ヴィチェンツァでは、この料理はCが1つなんだそうです。普通はバッカラはbaccalàでも、ヴィツェンツァでは、Cがひとつのバカラ。んなばかな、と思ったけど、地元のこの料理の専門家たちは、C一つで呼んでました。会の名前の刺繍もC一つ。リチェッタはP.11...