2010年7月1日木曜日

原点回帰する乾燥パスタ

スパゲッティの歴史編、その8。



ナポリのストリートフードだった頃のマッケローニ売り
uploaded by Cristiano Porqueddu


スパゲッティは、イタリアが世界に誇る食材。
輸出も可能な本格的な工場が最初に造られたのは、カンパーニア地方でした。
特に、麺を乾燥させるための気候に恵まれたトッレ・アンヌンツィアータとグラニャーノで、イタリアのパスタ産業は本格的に始動します。
1882年には水圧によるプレス機が発明されるなど、徐々に機械化が進んでいきました。

1905年頃のナポリのパスタ工場の風景
まだ乾燥過程は天日干しです。


ナポリには、パスタにまつわる様々な伝説があります。
生地の塊を細い麺にする道具を考え出したのは、ヴェスヴィオ火山の地中深くに住む火の神ウルカヌス。
パスタ作りの秘伝は、ナポリの民を愛した豊穣の女神ケーレスによって我々に授けられた。
フェデリコ2世の宮廷の皿洗いの妻が、ナポリのコルテッラーリ通りに住むキコという魔術師からパスタ作りの秘密を盗み出し、フェデリコ2世に初めてパスタ料理を出した・・・。
などなど。
マッケローニと言えばナポリ、そんな時代でした。

ところが、20世紀になって、乾燥設備を持った工場がイタリア各地に作られるようになります。
スパゲッティがナポリでしかできなかった時代は終わりました。
やがて工場は、イタリア以外の国にも広まっていきます。
もはや、スパゲッティがイタリア産である必要さえなくなってしまいました。


機械化、そしてグローバル化。
外へ外へと広がっていった乾燥パスタ。
スパゲッティはイタリアの登録商標ではないので、外国でどんな材料を使ってどんな作り方をされていようと、スパゲッティという名前をつけることができます。
イタリアのパスタにも、産地限定を意味するDOPやIGPの認定を受けたものはありません。
今や、乾燥パスタの産地はさほど重要ではなくなりました。
普段食べているスパゲッティがどこで作られているのか、はたしてどれくらいの人が知っているでしょうか。


けれどその一方で、原点に戻る傾向も目立ってきました。
パスタ産業が誕生した頃の製法で作られるスパゲッティが、高く評価されているのです。
つまり、天日による乾燥に近い、低温で長時間乾燥させる製法などを用いた、“アルティジャナーレ”と呼ばれるパスタです。

その代表格が、グラニャーノのパスタ。

普通、一般的な工場では80度前後の高温で6時間ほどで乾燥させます。
それを、グラニャーノの場合は43~48度で、24~48時間かけて乾燥させます。

低温で長時間かけて乾燥させると、高温の場合と比べて栄養価や風味への影響が少なくなります。
値段は高くても、こうした製法のパスタは美味しい、という評判が生まれ、今や“グラニャーノ”は立派なブランド名になりました。

グラニャーノは、麺を乾燥させるために町の造り自体を変えてしまうほど、乾麺に多くを捧げてきた町です。
1845年にはフェルディナンド2世から宮廷御用達パスタのお墨付きももらいました。
20世紀になって一時パスタ作りの火が消えかけた時もありましたが、今は復活の時を迎えています。



グラニャーノのパスタ職人たち






機械で作るパスタに職人の経験と技を加えたパスタ・アルティジャナーレ。
もちろん、グラニャーノ以外でもパスタ・アルティジャナーレは作られています。
逆に、グラニャーノのパスタがDOP製品でない現状では、グラニャーノ以外の場所で低温乾燥を用いないで作ったものでも、グラニャーノと名乗ることは可能な訳で、名前だけで品質を判断することもできません。



-------------------------------------------------------

関連誌;『クチーナ・エ・ヴィーニ』2008年6月号
“パスタ”の記事の解説は「総合解説」07&08年6月号に載っています。

[creapasso.comへ戻る]

=====================================

0 件のコメント:

キャビアはしばらく見ないうちにずいぶん種類が増えてました。

(CIR12月号)の話、今日はクリスマスにふさわしいゴージャスな食材、キャビアとトリュフの話です。 カスピ海のチョウザメの  卵を初めて塩漬けにしたのは、2千年前のペルシャ人だと言われています。それをロシアの皇帝が輸入して宮廷に取り入れたところ、キャビアは黒い金と呼ばれる高級品と...