2012年8月9日木曜日

パンの歴史

前回では、ピッツァイオーロは、北の若手の旗手も、南の老舗の顔役も、みんな発酵生地のマエストロだということ、お分かりいただけたでしょうか。
どちらも、ピッツァドゥに対しては、すごい自信とプライドを持ってますよー。

で、発酵生地と言えばやっぱりパン。
『ガンベロ・ロッソ』2011年5月号で紹介されているパン職人は、エウジェニオ・ポル氏。
彼は、半分化学者で、半分シェフなんだそうですよ。
やっぱりパン職人は理系&学者系なんですねえ。

このポルさん、その風貌は、哲学者のような人でした。
パンを語らせたら熱い。



パンは、人を哲学者にしてしまうほど深いものなんでしょうねえ。

アレッサンドラ・メルドレージ著『Il Libro del pane』によると、パン作りは、紀元前6000年ごろ、エジプトあたりで発明されたんだそうです。
この本から、パンの歴史についての話を簡単にご紹介すると、

最初のパンはポレンタ状のものでした。
当然、まず最初に小麦など穀物があって、これを栽培する技術が確立されます。
この時点で、日本は米の道を歩んだわけですね。

さらに穀物を粉にする石臼ができて、
次に粉に水を加えて煮ることができる鍋ができて、
この時点でようやくポレンタ登場ですね。

ここで革命が訪れます。
ポレンタを竈や熱した陶板で焼くと美味しくなることが発見されたのです。

そしてようやく、発酵が加わります。
紀元前3000~20000年のことだそうです。

そのきっかけは、おそらく、エジプトのどこかの主婦が単に、ポレンタを作りっぱなしにして忘れてしまったこと。
考えてみれば、世界中の発酵食品のほとんどは、ズボラな主婦や職人のおかげで誕生したのかもしれませんねー。

パンは農業が同じように発達した文明に広まっていきました。
ギリシャ人もパンが大好きでした。
ギリシャ神話では、羊飼いや狩人の守護神パンが、人間にパンの作り方を教えたとされています。
彼の名前をとってパンと言う名前が付けられました。
羊飼いがパンという名前とは、地中海やイタリアの食文化を象徴しているようですねえ。
パンは女好きでちょっとお人よしの、ある意味、ラテン系の神様なんですよねえ。
当時の地中海の食文化のベースは、小麦、ぶどう、オリーブ。
北からイタリアに侵入してきた移民族たちは、肉と乳製品の食文化をイタリアにもたらしました。
ここらあたりの空気は、映画『グラディエーター』が、よーくかもしだしてます。

Pan

神話のパンにはヤギのような角と後ろ足があり、フルートを吹き、とても好色。

古代ローマ人もパンは大好きでした。
パスタと違って、パンの痕跡は古代ローマ時代のものも発見されています。
初代皇帝アウグストゥスの時代には、ローマには129軒のパン屋があったそうですよ。
でも、当時のパンは、ほとんどがポレン状のplus。
焼いたパンは一部の人しか食べることができない特別なものでした。

その後、キリスト教の世界では、パンはキリストの体の象徴となりました。

でも、私たちが現在食べているようなパンが一般的になるのは、まだ先のことです。
精製した白い小麦粉を使ったパンは、都会の富裕層のための特別なものでした。
農民は、トウモロコシやライムギ、小麦の全粒粉、さらに丘陵の農民は主に栗の粉のパンを食べていました。

ここから先は
パンが白く、柔らかくなっていく歴史です。

生イーストが使われるようになったのは、1650年ごろ。
パリのパン屋さんが世に出しました。

さらに時代は変わりました。
1891年には、イタリア人は一人当たり1日820gのパンを食べていたのですが、現在は200gに減っているそうです。

イタリア料理におけるパンの歴史を、超ざっと見てみました。
次は粉の話。


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関連誌;『ガンベロ・ロッソ』2011年5月号、“エウジェニオ・ポルのパン”の記事の解説は、「総合解説」2011年5月号(近日発売予定)に載っています。
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